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マデイラジャパンの強み
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マデイラを扱ってきた歴史

日本におけるマデイラワインの歴史は、マデイラジャパン株式会社の元となる木下のグループ会社(大阪木下商事株式会社)が、バーベイト社のマデイラワインを初めて日本に輸入したことから始まります。1967年のことです。

当時は、外貨割当がないとインポーターが自由に海外から商品を輸入できない時代でした。通産省からポルトガルの外貨割当を受け、当時の貿易責任者は、本土までは遠いため近場であるポルトガル領のマカオに向かいました。そして、現地の酒屋の店頭で、コモ被り(籐編み)のフラゴンボトルに入った珍しいお酒を見つけ、輸入することにしました。それが、バーベイト社のマデイラワインでした。

しかし、当時はマデイラワインが何たるかもよく分からず、ブドウ栽培や醸造方法について書籍などから情報を得ている状況。一方で、フランスでは主に料理に使われていることが分かりました。そこで、日本においても、まずは料理酒として全国のホテルやレストランに広めることに。その結果、バーベイト社のマデイラワインは、クッキングの業界で全国へと普及していきました。

50年以上が経過した現在、当社の販売数量は年間約16,000ケースで、1インポーターの輸入数量としては世界一の実績となりました。

マデイラワイン自体の歴史は古く、元々は料理用としてではなく、ドリンクとして親しまれていました。しかも、数々の歴史上で有名な偉人たちに愛飲されていたことが知られています。例えば、1500年代のシェークスピアや、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンや第3代大統領トーマス・ジェファーソン、フランスの皇帝ナポレオン・ボナパルト、1800年代ではイギリスの首相ウィンストン・チャーチルなどです。また、日本では織田信長がポルトガル宣教師から献上された珍陀酒(チンタ酒)を嗜んだとされていますが、実はあれもマデイラワインであったという説があります。

1990年代からマデイラ島に訪問する機会が増え、そのようなマデイラワインの偉大な歴史がわかってきました。これは単なる「料理酒」だけに終わらせてはならない、マデイラワインをドリンク用のお酒として広めることこそが、次の我々の使命であると思いました。そして、2000年ごろに、日本でマデイラワインをドリンク用として広める活動を本格的に開始しました。
ドリンク用マデイラワインの販売数量は、まだ1,000ケース程度。しかし、バーやレストランに着実に広がりつつあります。近い将来、全国のありとあらゆるバーでマデイラワインが扱われていることを目標に、我々はこれからも努力を続けていきます。

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強い絆で結ばれた関係

当社は、人と人との繋がりや信頼関係を非常に大切にしています。

木下は、1991年にマデイラワインの長年の仕入先であったバーベイト社に資本参加をしました。しかも、敢えて常識では考えられないとされる資本比率50:50という、全くの対等の関係でジョイントベンチャーを発足させました。

これにより、双方の絆や連帯感が強まっただけでなく、本当の意味で同じ“ファミリー”になったのです。

バーベイト社は、2008年にマデイラ島のカマラ・デ・ロボスの丘の上に、最新設備のワイナリーをオープンしました。そこに至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでしたが、どんな困難に遭遇しようとも、資本比率50:50の強い絆で克服することができました。

この「絆」は、単に良きビジネス関係に留まらず、人間としての本質、人と人が関係して生きる人生の根本とも言え、非常に重要なものと考えています。よってマデイラジャパンにおいても、このフィロソフィーを会社のポリシーとしています。

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マデイラ産に特化した
商品ラインナップ

マデイラ島には、マデイラワインをはじめとする様々な製品があります。

当社のマデイラ島との関わりは長年に渡るもので、日本において「マデイラ島に一番近い」存在の会社です。現地でのネットワークを最大限に生かし、「マデイラ島」という珍しいエリアのビール、ジン、ラムなども輸入しています。

ジンやラムなどの愛好家の方々に「マデイラ島の商品」を手にしていただくことで、「マデイラ」が身近になる。それらはマデイラワインの普及に繋がっていくことであると信じ、日々活動しています。